幸福王子 「おやすみ」に対する返事の解釈
私が知っている限りでは10/30夜、レポ見る限りだと他に2・3公演で、ツバメが死ぬ時の「おやすみ」に王子が「おやすみ」と小さな声で返事するようになっていました。
ツバメが「おやすみ」と言ったあと次のシーンに移るまで、余韻というか謎の空白の時間が流れていることもあり、なんで王子は死ぬツバメのおやすみには返事しないんだろうかとずっと思っていて。
それに対する解釈を書いてみようと思います。
王子が死ぬツバメの「おやすみ」に返事をする場合においては、"自分の独善的思考に基づいて行った良い事が最悪の結果を招いてしまったということを、王子が理解した描写になる"と私は考えています。
"いい事"は結果ではなく原理と関わる問題であり、結果が芳しくないとしてもいい事をしない方が悪いことである"というのが物語における王子の主張です。
物語の中で王子がしたい"いい事"にはツバメの協力が必要不可欠であり、王子がいい行いをし続けるためには、寒さが敵なツバメを街に留まらせなければなりませんでした。
では王子が自分の信じる"いい事"をし続けた結果どうなったのか。
そこに待っていたのは、寒さに耐えきれなくなったツバメの死でした。
王子は「結果は偶然に左右される だから原理が重要なんだ」という考え方をしていましたが、その原理自体は極めて自己中心的価値観に基づくものでした。
皮肉にも、主観的な判断で行った行動の帰着として結局王子が重要視してこなかった"結果"が最悪なものになってしまったのです。
幸福王子はツバメに指摘された「独善的で自己中心的」「一時しのぎ」という部分をなんら解決できなかったのでした。
ここでツバメが死ぬ時の「おやすみ」に返事をする場合は、王子が少し自分の行動が自己中心的であったことを理解出来たのかなと私は思います。
ツバメの死は寒さに耐えきれなくなったという自然的な現象でしたが、本来渡り鳥であり冬の間は暖かい場所へ旅立つツバメを引き止めたのは他でもない王子です。
だからこそ死の間際にツバメが放った「おやすみ」に対し、自分の独善的な行動に対する悔やみから「おやすみ」と王子は思わず零してしまっただと感じました。
王子は原理に囚われ結果を軽視する考え方のもろさを、ツバメの死によって見つめ直したのだと思います。
というのはあくまで私の希望的観測で、救いのない幸福王子という物語の中で少しでも王子が自分の自己中さに気がついていたらいいな 救いがあるといいなと思い、この解釈に至りました。